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アメリカ西部における自然環境の変化をテーマに撮影を行ってきたのが写真家のリチャード・ミズラック。彼は1949年にロサンジェルスに生まれ、独特の色彩に満ちた風景写真を撮ることで知られているんですが、かつては不毛の地だったカリフォルニアやネバダやアリゾナの砂漠の地に人間が入り込むことで、本来あった自然の姿が少しづつ変化していった光景を好んで撮影してきました。

ミズラックの写真はすべて8x10の大判のビューカメラで撮られているんですが、彼の撮るものは独特の淡い乳白の色味がトレードマークにもなっていて、澄み切った空気感が伝わるように細部まで写し込んでいるのが特徴です。実は、ぼくがサンフランシスコで学生をやっていた頃に、おそらく一番好きな写真家だった人で、初期の代表作ともいえる『Santa Fe, 1982』の大判ポスターを部屋に貼っていたという思い出があります。

ミズラックが、こういった一連の砂漠の光景を撮るに至った理由としてこんなコメントを残しています。「世界は美しいのと同じくらいにひどいものかもしれないけれど、もっと接近して見てみるとひどいのと同じくらい美しいと思う」と。それはつまり、もともと美しかった手つかずの自然は、人が残した残骸や侵略したことで一度は傷つけられたことがあったにしろ、もう一度新鮮な目で見つめ直してみると、そんな風景でさえも実は美しいではないかと言っているのだと思います。

それを踏まえてもう一度ミズラックの写真を見返してみると、彼がこの一連の写真で本質的になにを撮ろうとしているかが良く判ると思います。これらの荒涼とした砂漠の写真は『デザート・カントス』つまり『砂漠の叙情詩』と題され、すでに40年くらい続けられているシリーズでもあるんですが、とにかく、透き通るような色彩で撮られた西部の荒涼とした数々の風景写真を実際に目の当たりにすると、涙が出そうなくらいグッときますし、ぼく自身もミズラックの写真をいつか手に入れるのが夢でもあるのです。

ある日ベッヒャーは私に言いました。写真を使って制作を続けたいならメディアについて考え続けなければいけない、そして、メディアについての考察は、作品に反映されなければなりません、と。――トーマス・ルフ

ベルント&ヒラ・ベッヒャーの下から巣立っていったアーティストの中でも、おそらくもっとも写真の持つポテンシャルを押し広げようとしてきたのがトーマス・ルフではないでしょうか。この作家はなかなかつかみどころのないアーティストで、これまでもモノクロの建築写真や巨大なポートレート作品、ネットから引っ張ってきたピクセル画像、天体写真、赤外線写真、ぼんやりした有名建築やポルノだったりと、一見するとスタイルがばらばらで、同じ作家が作り出したものに見えなかったりもします。

初期作品である友人たちを撮ったポートレートは、一見、証明写真を思わせるなんの変哲もない顔写真なのですが、それが二メートルにも及ぶ一際大きな写真として提示されることで、「あ、これは人の顔だ、そして、人の顔を撮った写真だ、そうか、巨大な作品なのだ!」と見るものに思わせるのです。ちょうど、アメリカのアーティストであるチャック・クロースが巨大キャンバスに人の顔を緻密に描きながら、これはあくまでも絵画なのだ、と強く意識させるのと似ているかもしれません。

ルフは、ネットで収集した画像を使った「JPEG」というシリーズにも長年取り組んでいます。イメージのファイルサイズをあえて縮小したうえで巨大な写真に引き延ばすことにより、市松模様のようなモザイク模様が現れ、遠目でなんとか写っているものが認識できるといった、デジタル画像の曖昧な要素を利用した作品です。

そんな彼の作品を俯瞰的に眺めてみると、一貫して行なってきたのは、ドイツ写真の伝統を継承した「客観的な写真」の追求だったはずです。その延長にあるのが、写真を撮る行為そのものを問うということなのです。既存の写真やネットで拾った画像といった、自身が撮影したのではないイメージを使ってなにが提示できるのかという試みを通して、写真というメディアの根源に辿り着こうとしているのがルフなのであり、そういった意味では、彼は紛れもないコンセプチュアル・アーティストに違いありません。

トーマス・ルフという作家は、写真に真実が写るという考え方にそもそも懐疑的で、どうやら、そういったことを念頭に置いて彼のすべての作品は見られるものなのでしょうね。

幼少の頃に患った難病のために、背中が曲がる後遺症を抱え、成人になっても小学生くらいの身長しかなかった牛腸 (ごちょう) 茂雄さん。36歳の若さでこの世を去った彼は、生前この『SELF AND OTHERS』を含む3冊の作品集を世に出されたわけですが、とりわけこの写真集の純度の高さというのは今もまったく衰えてないと思うんですよね。

『SELF AND OTHERS』には、牛腸さんの友人や家族らが撮られていて、中でも赤ちゃんや子供たちのスナップ・ポートレートが群を抜いているんですが、それらは彼自身が子供のときに体験した痛みや憧れなんかが入り交じりながら、まるで心の中に眠っていた記憶の玉手箱を一つづつ開けていくかのように、そこに自分の姿を重ねているようにも感じられるのです。

この写真集の序文として、牛腸さんの恩師であった大辻清司氏は以下のようなコメントを寄稿されていますが、これ以上の説明はいらないと思うのでその核心部分だけを書き出しておきます。

「対象はすべて人間、つまり他人であり、その一枚一枚に彼のアイデンティティが絡み合いながら二重写しになったり、つき離して距離を置いている様が、ぼくには見えてくる。どの写真を見ても、写っている者たちと同じ世代であった頃の牛腸君の像が重なり合って、あたかも時空間を超越して彼等自身に変身してしまった願望の自画像として、こうした写真が撮られているのか、とも想像するのである。
ことに子供たちの写真に、そんな幻想をいだいてしまうのである。これはいささかぼくの読み過ぎであり、偏った想像かもしれない。だがそのように考えたとき、他のどんな見方をするより、わかったと納得できるのである」

『自身と他人たち』と題されたこの写真集は、大辻さんのこのコメントだけを心に留めつつも、あまり先入観を入れずにゆっくりと見ることをお薦めします。牛腸さんが少年時代が体験したこと、またはできなかったことなど、様々な想いを追憶しながら、彼は子供たちの純粋な世界にすっーと入り込んでいったように見えるし、だからなのか、ぼくにはこの一人の写真家の深い吐息がページをめくる度に聞こえてくるような感じがするんですよね。

リチャード・プリンスの「Adult Comedy Action Drama」が出版されたのが1995年だったんですが、いや〜、この本は今見ても新鮮で、出された当時のことがこの写真集を開く度にいろいろと鮮明に思い出すことができるんですよね。

この傑作写真集は、リチャードの身の周りの風景や自身の収集物や作品を「タングステンフィルム」で撮ったために、ほとんどのページが青味がかっている本なのですが、なぜそうなったかというと、単純にタングステンは昼光下の被写体を撮影すると青く写るからなんですね。

この235ページからなる「Adult..」はリチャードの収集物と自分の作品と身の回りのカタログであり、彼の代表作ともいえるカウボーイの作品やジョークペインティング、Bob Dylanの初版本のコレクション、雑誌の表紙、周囲の人々、住んでいる片田舎の風景などが、ランダムに掲載されているんですが(実はそうではなく、かなり巧妙に計算されていたことを後で知りました)、そのすべてのイメージに本の終わりでこと細かくタイトルが付けられているのです。

例えば、ページ 30の説明は「ボブ・ディランのタランチュラのアメリカとイギリスの初版、ロングアイランドのスタジオ、1992」、ページ 210は「フライパンや皿とトーマス・ラフの無題のポートレート、リードストリート 4階、NYC、コレクションR.P.」という風なのですが、その多くのキャプションは読者にはほとんど意味を持たない記号みたいなものだったのに、なにか深読みをしてしまいたくなるという不思議な魅力に溢れた本だったのです。

でも考えてみると、このやり方ってまさにFacebookの投稿みたいだなぁと思うんですよね。つまり、自分の周りにあるものや興味の対象をランダムに取り上げることで、その人物の人となりを伝えるといった手法や感覚というか… 

とにかく、リチャードが凄かったのは、それを90年代初期にすでに確信犯的にやっていたことであり、何気なく撮った(ような)スナップ写真とページ構成のセンスの良さによって、数多くの写真家やアーティストやデザイナーたちに絶大な影響を与えていったという歴史的にも重要な本だと思っています。いや、数多くというのはもしかしたら語弊があるかもしれません(出版された当時はそんなに売れなかったわけだし)。でも、少なくともぼくはこの本から本当に多くのものを学びましたけどね。

90年代後半に日本で出版された写真集の中で、当時を最も代表するような1冊であり、そしてホンマタカシさんにとっても自身の方向性を決定づけた作品集、それが「TOKYO SUBURBIA - 東京郊外」です。

この分厚い写真集には2つの特徴があって、一つは撮られた被写体の特殊さ、そしてもう一つは本の装丁の斬新さです。このタイトルが示すように、内容は東京の郊外(浦安市や相模大野市やお台場や幕張など)の風景やそこで暮らす人たちを大判カメラで撮ったもので、子供や団地や建売住宅や駐車場などが撮られてはいるわけですが、ここには決定的な一瞬の光景というものはありません。

逆に、ストイックなまですべてが等価で「否定も肯定もなく、ただ明るく、ニュートラルな光のもとで、全てにピントを合わせて」(この部分は建築家の貝島桃代さんのテキストを引用)撮ったものを、かなり意図的により明るくクリアなカラー写真として焼いてあるわけです。リアルなはずなのに、なぜかとても非現実的な光景に見えるのは、そういった手法で撮られプリントされていたからなんですね。

また、これらはスナップ写真のようだけれど、実際はリンホフの4x5カメラを三脚に建てて撮られているんですが、それが意味することとは、これらの写真は偶然性を排除しコンセプトに基づいて撮られているということです。そして、そういった写真をなにかとんでもないストーリーが展開するかのように、まるで電話帳のような分厚い写真集にまとめたのが大貫卓也さんという一人の天才的なアートディレクターでした。

大貫さんは博報堂時代から広告やコマーシャルの分野においてスター的存在だったんですが、写真集の装丁をしたのはおそらくこれが初めてだったと思います。彼は大量にあったであろうイメージを64点まで絞り込み、そして絵本などで使われる厚紙を使い、すべて見開きの断ち落としにし(だから白い余白がまったくない)、ピカピカにコーティングを施し一体感を強調することで、まるでオブジェのような本を作りあげたというわけです。
もし、大貫さんのぶっ飛んだ、かつ度肝を抜くような効果がなかったならば、この「TOKYO SUBURBIA 」はかなり異なった捉え方をされたと思うんですが、そんな大貫さんを抜擢したホンマさんの先見性が素晴らしかったということでもあるんですよね。

ほんの10年しか経ってないのに、いかに東京という巨大都市が変貌を遂げてしまったかというのを見せつけられる尾仲浩二さんの「Tokyo Candy Box」展。いやぁ〜、このショウいいですよぉ、最高です。撮影期間が1999年から2001年、今では普通に当たり前の風景になってしまったガラス張りの高層ビルがボコボコ造られていた当時の昭和と近未来(=今現在)の狭間を撮ったような写真群です(だから工事現場が多かったりする)。撮られている場所は尾仲さんが当時住んでいた新宿周辺を中心に、渋谷、代々木、後楽園、築地など都内の様々な場所なんですが、なんだかその全部が随分前の光景に見えてしまうんですよね。多分、尾仲さん独特の黄昏色のプリント(尾仲カラーと呼ばれてます)によってそういった印象がさらに強められているんでしょうけど、それにしてもなんだか今の東京の風景からかけ離れているんですよ。これらの写真はすべてネガカラーで撮られていて、もちろんCG加工もなにも施されてない10年前の生の姿なのです。ということは、(ここが肝なんですが)この「すでに失われた光景は尾仲さんの写真でしか存在してない」ということなわけですよ。そうか、そんなんですよね。そして、さらに尾仲さんから聞いたんですが、これまで愛用してきたカラー印画紙がとうとう生産終了となったことで、これが正真正銘、その印画紙での最後のプリントなのだそうです。え〜、それってなんだかとても切なくないですか?だからでしょうか、余計にこのわずか31点の写真が無償に愛おしくなってしまったんです。このオープンしたばかりショウ、まあ、とにかく見に行ってみてください。撮られている被写体や風景もですが、その美しいプリントにまず感動しますから。そういえば、この写真が撮られたすぐ後に出版された写真集「Tokyo Candy Box」の最後のページに、尾仲さんが一枚の桜の写真とともにこう書き綴っています。「わずか2年のあいだのことなのに、多くのものたちが消えていった。取り壊されたビル、消えた空き地、廃止されたモノレール、閉鎖された野球場、解体された観覧車、最後のメーデー..... そして、この桜を見ることができなかった友人S 2001. 6 尾仲浩二」
この10年間で東京が失ったもの、それはもう取り返しがつかないものなのですが、「そんなこと知ったこっちゃいない」って感じでこの不気味な巨大都市は当て所もない未来に向かって突っ走っているわけなのです... でも、本当にそれでいいんでしょうかねぇ.. Please ask yourself.

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大傑作『桂』(1960)を撮り下ろしたとき、実はまだアメリカ国籍だった石元泰博(1921-2012)。彼は1948年から4年間、シカゴ・インスティテュート・オブ・デザインで写真の学生として過ごしたのち、いったん帰国して桂離宮を撮影しました。そして1958年から1961年にミノルタの助成金を得て再びシカゴに滞在し、街の人々と風景を撮り下ろしたのが『シカゴ、シカゴ』というシリーズでした。

 当時のシカゴといえば、マディ・ウォーターズに代表される「シカゴ・ブルース」のことを、ぼくは条件反射的に思い浮べてしまいます。シカゴで生まれたバンドスタイルでの都会派音楽で、南部発祥のデルタ・ブルースにエレクトリックギターを導入したモダンな音楽だったのですが、シカゴ・ブルースが生まれた背景には第二次世界大戦時のアフリカ系アメリカ人の大移動があり、それに伴って南部からシカゴへ続々とブルース・ミュージシャンも移住したということがありました。

 そのことを反映するかのように、『シカゴ、シカゴ』を見ると白人よりも生き生きとした黒人たちの姿が多く撮られています。当時のシカゴにおける人種の移り変わりの反映もあったはずですが、第二次世界大戦中には日系人収容所で暮らし辛い経験をしたことがあったため、マイノリティに対する同胞的なシンパシーが反映されているのではないかと思うのです。

 一九六九年に初版が出版された写真集『シカゴ、シカゴ』は、1964年の東京オリンピックのポスターで知られる亀倉雄策が装丁とデザインを手がけています。当時としては珍しかったモノクロ二色刷という贅沢な印刷が施され、序文には恩師でもあったハリー・キャラハンと美術評論家で詩人の瀧口修造が寄稿、デザイナーの亀倉もあとがきを添えています。この写真集は、キャラハンが撮ったシカゴにも似た質感やアプローチの仕方があり、加えて『桂』で発揮された独特の造形美と、絶妙な被写体との距離感が特徴で、タイトルとして「シカゴ」がなぜ二度繰り返されているのかをじっくりと考えてみたくなる優れた一冊なのです。(アメリカ編: P294ーP296)