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ネットオークションの様々なモノたちの写真は、中平卓馬の「なぜ植物図鑑か」をはるかに超えてしまったかのようだ。言うまでもなく、そのほとんどはデジタルカメラで撮影されている。売却という目的の下に、ただモノの姿形を指し示すため だけに撮られた写真。大半は、一週間もすればその目的を終えて消えていくことになる。* たとえば、ヤフオク上で「マネキン」で検索をかけると、おびただしい数のマネキン人形の写真が出てくる。この群れの中に生身の人間のヌード写真を紛れ込ませたらどうなるだろうと思ってみたりする。同じように「ブルーシート」で検索し てみると、販売目的のブルーシート写真がズラリと出てくる。この出品写真の中に、ぼくがテーマとしている「 Japanese Blue」の写真を投げ入れたらどんな事になるのだろう。
というわけで、「なぜヤフオク図鑑か│ Japanese Blue│ 」と題して、二〇〇六年三月二十六日(日)午前十一時から四月二日(日)午後十時まで、ヤフオク上での展覧会は始まった。* 出品物は、エプロンやバック。オークションのルールをクリアするために、実際に販売することを目的に、ブルーシートを素材にしたエプロンやショルダーバックを妻に手作りしてもらい、「送料無料、一〇〇円から」ということでスタートした ( ペー ジ 図版参照)。* ぼくの目的は、品物を売却することではなくて写真を載せることにあったのだが、見た目は普通のオークションと何ら変わりはない。「ブルーシート製のエプロン、こりゃ珍しい」と見知らぬ一般の人が落札してくれる可能性だってある。さて、 結果は如何に
         *  * *
 Japanese Blue は、ネットオークションの海を漂う漂流物のようだった。何千、何万といった数の写真たちと一緒に、様々な人々の視線にとまり、流され、弾かれながら旅をした。売却という目的の中にあって、Japanese Blue だけは、違う何 処かへ向かっていた。その僅かな差異の中にあって、かろうじて表現として成立する何かを僕は目指していた。アノニマス な写真の群れは、ただモノをモノとして指し示す。目的が終われば消えていく。その即物的な有り様の中に、表現としての 写真を投げ入れてみること...。
* 中平卓馬の「なぜ植物図鑑か」は、ただモノをモノとして指し示すに過ぎない写真への憧れを語っていた。ネットオークションの写真たちは、電子の海の中で、かつての中平の夢を実現している。写真はここまで来てしまったのだ。そして、あの中 平卓馬は、今は幸せな写真オジサンとして生きている。それはまるで、玉手箱を開けてしまった浦島太郎のようだ。忘却だ けがそっと寄り添う。やがて落札者のもとへ、かつて写真で示されたモノたちが届くだろう。そして、写真イメージと被写体となったモノたちとの計測し難い距離を落札者は反復するだろう。その反復こそが写真なのだ。
d-style essay
〈 こばやし・のりお

19世紀半ば、日本へ輸入された写真。日露戦争を経て新聞・出版メディアが拡大するなか報道写真が成長。第二次世界大戦時にはプロパガンダに利用され、また敗戦直後には「マッカーサーと天皇」の写真のように、社会に大きな影響力を持つようになった。戦後は戦禍や公害問題を追及するリアリズム写真が隆盛を誇ったが、経済成長とともに私的テーマ、広告へと多彩化する。本書は1974年まで120年に及ぶ歴史を描く。

1970年代半ば、消費社会が爛熟するなか『an・an』を筆頭にヴィジュアル雑誌が次々と創刊。新しい写真家たちが陸続と登場する。さらに『写楽』『写真時代』『FOCUS』の売り上げ拡大によって、写真は黄金時代を迎え、宮沢りえのヌード写真集は社会現象ともなった。他方で、90年代半ば以降のデジタル写真の普及は、150年に及ぶ写真史を一新する。本書は1975年以降の写真黄金期とデジタルの衝撃の歴史を描く。

中藤毅彦の実質的なデビュー写真展といえる「Night Crawler──虚構の都市への彷徨」は、1995年に新宿・コニカプラザで開催された。僕はその展示を見ている。中藤が東京ビジュアルアーツで森山大道に師事していたのは知っていたから、やはりその影響が強すぎるのではないかと思った記憶がある。だが、彼が他のエピゴーネンたちと違っていたのは、森山の都市のスナップショットの仕事を単純に模倣するのではなく、さらにそれを過激に、より大げさとさえいえるような身振りで展開していこうという明確な意欲を持っていたことだろう。その後「虚構の都市」東京を這い回る作業は一時中断され、彼は東欧諸国、ロシア、キューバ、上海などに撮影の範囲を拡大していった。そして2010年になってひさしぶりに東京を撮影し直した写真群に、旧作を併せて展示したのが今回の「Night Crawler 1995 2010」展である。
コントラストの強いモノクロームの写真は、ほとんど変わりがないように見える。だがよく見ると、1995年と2010年の作品では、明らかに画面の成り立ちが違ってきているのがわかる。旧作は中心となる被写体を鷲掴みにしてくるような力業でシンプルな画面を構築していた。だが新作になると、都市を階層(レイヤー)として捉えるような視点があらわれてくる。画面はより多層化し、都市の波動に同調して網目状に伸び広がっていく視線の動きを感じとることができる。その変化は、端的に、使用機材がアナログカメラからデジタルカメラへと移行したことによるものといえそうだ。一眼レフカメラでハンターのように狙いを定める身構え方が、デジカメのモニターをやや目から離して覗き込む姿勢へと変化した。そのことによって、明らかに画面に弛みや震えが生じてきている。しかし、それをあまりネガティブに考えることはないのではないか。2010年版の「Night Crawler」の方が、東京という都市が発するノイズの総体をより包括的に捉えることができるようになっていると思えるからだ。これから先、もしこのシリーズがさらに撮り続けられるとしたら、どんなふうに変わっていくのかが楽しみでもある。
2011/01/07(金)(飯沢耕太郎)

2011年の仕事始めということで、まず東京都写真美術館に足を運ぶことにした。スナップショットをテーマにした収蔵作品展(一部に個人蔵を含む)と新進作家展が、「かがやきの瞬間」という共通のコンセプトのもとに開催されている。昨年中に行こうと思っていたが、ゆっくり見る余裕がなかったのでそのまま新年まで持ち越していた展示だ。
マーティン・ムンカッチ、ジャック=アンリ・ラルテーィグ、木村伊兵衛らのクラシックな作品から、鷹野隆大やザ・サートリアリストのような現代写真家の作品まで、「吹き抜ける風」「こどもの心」「正直さ」という3部構成で見せるのが「スナップショットの魅力」展。こうして名作ぞろいの展示をじっくり眺めていると、スナップショットがずっと写真という媒体の持つ表現可能性の中心に位置づけられてきた理由がよくわかる。たしかに、現実世界から思っても見なかった新鮮な眺めを切り出してくるスナップショットには、他にかえ難い「魅力」が備わっているのだ。ウォーカー・エヴァンズが1938〜41年にニューヨークの地下鉄の乗客をオーバーコートの内側に隠したカメラで撮影した「サブウェイ・ポートレート」シリーズなどを見ていると、見る者の視線が写真に貼り付き、画像の細部へ細部へと引き込まれていくような気がしてくる。目を捉えて離さないその吸引力には、どこかエクスタシーに誘うような魅惑が備わっているのではないだろうか。
だが、何といっても今回の展示の最大の収穫は、ポール・フスコの「ロバート・F・ケネディの葬送列車」のシリーズ25点を、まとめて見ることができたことだろう。1968年に暗殺された「RFK」の棺を乗せた葬送列車は、1968年6月5日にニューヨークのペン・ステーションからワシントンDCまで8時間かけて走った。『ルック』誌の仕事をしていたフスコは、沿線で列車を見送る人々の姿をその車窓から撮影し続ける。だが2,000カットにも及ぶそれらの写真は結局雑誌には掲載されず、2000年に写真集にまとめられるまでは日の目を見なかった。黒人、白人、修道女、農夫、軍服を身に着けた在郷軍人からヒッピーのような若者まで、そこに写っている人々はそのまま当時のアメリカ社会の縮図であり、その表情や身振りを眺めているだけでさまざまな思いが湧き上がってくる。偶発的な要素が強いスナップショットが、時に雄弁な時代の証言者にもなりうることを、まざまざと示してくれる作品だ。
2011/01/06(木)(飯沢耕太郎)

写真作品15点と、映像作品7点による展示。初期作品(1987年発表の「TRANSIT」)と新作のビデオ作品(「suevey of time」)という組み合わせは、10月に同じ会場で開催された宮本隆司展とまったく同じである。ギャラリーの企画意図があるのかと思ったのだが、「まったくの偶然」なのだそうだ。だが、このところ強まりつつある、写真を中心に発表してきた作家が映像にも触手を伸ばそうとしているという傾向のあらわれといえるだろう。フル・ハイビジョンカメラの登場とモニターの性能のアップによって、写真家たちも充分に納得できる画像レベルをキープできるようになったことが、その背景にありそうだ。
「TRANSIT」は松江泰治の個展デビュー作で、その頃はまだ東京大学理学部地理学科を卒業したばかりだったはずだ。在学中から撮りためていた35ミリフィルムを使った路上スナップには、当時彼が私淑していた森山大道の影響が色濃い。だが同時に、その後の松江の代名詞となった、大判カメラによる「Landscape」シリーズにつながっていく要素もはっきりと見てとれる。画面全体を、地上に遍在する事物の表層の連なりとして、等価に把握していく視点が見事に一貫しているのだ。彼の作家活動の原点を、あらためて確認できたのがとてもよかった。
新作の「suevey of time」は意欲作である。撮影されている風景は、松江のこれまでの作品でおなじみの場所であり、視点を高くとるカメラ・ポジションも共通している。フルハイビジョンの画像は鮮明で、一見するとスチル・カメラで撮影された作品のようだ。ところが、画面を眺めていると自動車や人物が横切ったり、道端の猫や草原で草を食んでいるリャマがわずかに移動したりして、それが動画であることがわかる。さらに画像がループ状につながっているので、そのつなぎ目の場所にくるとイメージがふっと消えて、わずかに違った場所に再び出現したりする。静止画像と動画との違いを逆手にとって、事物を「見る」という行為を再検証しようとしているのだ。「時間」という体験そのものの映像化の試みという見方も成り立つだろう。宮本隆司もそうなのだが、松江も作品の発想そのものが、よりフレキシブルなものに変わりつつある。
2010/11/09(火)(飯沢耕太郎)

写真の地層」展は1990年代から東京綜合写真専門学校の卒業生、関係者によって、世田谷美術館区民ギャラリーで開催されているグループ展。いつのまにか13回目を迎えた。今回の参加者は青木由希子、福田タケシ、五井毅彦、飯田鉄、岩岸修一、加地木ノ実、加地豊、小松浩子、桑原敏郎、鳴島千文、松本晃弘、三橋郁夫、森敏明、本橋松二、村松アメリ、大槻智也、佐々木和、笹谷高弘、田口芳正、谷口雅、寺田忍、潮田文である。ほぼ毎年開催されているのだが、ごくたまにしか見に行くことができない。だが行くたびに「変わりがないな」という感想を抱く。彼らが学生だった頃、また卒業して作品を発表し始めたのは1970〜80年代なのだが、そのまま時が止まったような写真が並んでいるのだ。
ひと言でいえば彼らの基本的なスタイルは、「作品」としての完結性の否定ということだろう。写真家が「決定的瞬間」を求めてシャッターを切ることでできあがってくるような写真のあり方を解体することで、あまり意図することなく連続的にシャッターを切ったような写真が並ぶことになる。そのなんとも曖昧な、脱力したようなたたずまいは30年前にはかなり魅力的だった。では、いまはどうかといえば、意外なことにしぶとく輝きを放っているように感じた。さすがにデジタルプリントが多くなってきているのだが、そのなかで小松浩子の現像液の饐えた匂いが漂ってくるロールペーパーの風景や、桑原敏郎の微妙にアングルを変えて連続的にシャッターを切った写真を、隣の壁にはみ出すように増殖させる試みなどが、妙に新鮮なものに感じる。美術館やギャラリーでの写真作品の展示の多くが、一点集中型のタブローと化している現在、逆に作品主義を徹底的に否定し続ける彼らの「変わりのなさ」が貴重に思えてくるのだ。ただ、このままでは「やり続ける」だけで終わりかねない。蓄積された経験や技を、次の世代にうまく引き継ぐことはできないだろうか。
2011/05/19(木)(飯沢耕太郎)

これは大変な労作である。著者の山内宏泰は『彼女たち Female Photographers Now』(ぺりかん社、2008)など、インタビューの構成には定評のある書き手だが、日本の写真関係者70人にインタビューしてまとめた本書は、まさに力業としかいいようがない。その顔ぶれがすごい。東松照明、篠山紀信、森山大道、蜷川実花といった大物から、よくこんな写真家までフォローしているなと思うような若手まで、しっかり目配りされている。今年の木村伊兵衛写真賞受賞作家の下薗詠子と土門拳賞受賞作家の石川直樹がちゃんと入っているあたりも、さすがとしかいいようがない。それに加えて、ツァイト・フォト・サロンのオーナーの石原悦郎や東京都写真美術館館長の福原義春など、「写真に携わる人々」にも話を聞いている。2011年現在における日本の写真界の見取り図を知るために、必携のガイドマップになるのではないだろうか。
帯に大書されているように、たしかに日本は「写真大国」である。では、なぜ日本人が写真好きなのかということについて、山内が後書きで興味深い意見を述べている。彼によれば「日本文化を読み解くうえでよく持ち出される『はかなさ』や『もののあわれ』が、写真にはもともと含まれている」こと「俳句や短歌、茶事に生け花と、日本人の心をとらえてきた慣習と相通ずる」のではないかというのだ。これはまったく同感。日本人の文化や心性をあらためて写真家の仕事を通じてとらえ直していく視点が、これから先にはとても重要になっていくのではないかと思う。
2011/05/28(土)(飯沢耕太郎)

尾仲浩二の写真集『Tokyo Candy Box』(ワイズ出版、2001)を最初に見た時のショックはよく覚えている。尾仲といえば、やや寂れた地方都市のさりげない光景を、旅をしながら撮影し、端正なモノクロームプリントで発表する作家というイメージがあった。それがいきなり、東京をテーマとした妙にポップなカラー写真の写真集が登場したので、目が点になってしまったのだ。
一人の写真家の仕事をずっと辿っていくと、なだらかに継続性を保ちながら進んでいく時期と、大きく飛躍し、変化していく時期とが交互にやって来ることがよくある。尾仲にとって、1990年代後半の「世紀末」は、まさにその後者の時期だったのだろう。時代が大きく変わりつつあることへの予感と、たまたまカラーの自動現像機を手に入れたことが重なって、モノクロームからカラーへ、地方から東京へ、静から動へ、というような化学反応が起こっていった。こういう思っても見なかったような大転換は、作家本人にとっても、写真を見るわれわれにとっても実に楽しいものだ。このシリーズには、発見すること、つくることの弾むような歓びがあふれているように感じる。
ところが、写真集の刊行にあわせた展覧会も含めて、これまで尾仲はスライドショーや大伸ばしのデジタルプリントでしか、このシリーズを見せてこなかった。自分にとっても実験作だったので、写真集の印刷とどうしても比較されてしまう印画紙の作品の展示は、封印してきたということのようだ。ところが昨年、常用してきたコダックのカラー印画紙が発売中止になり、ストックがあるうちにということで、あらためてこのシリーズのプリントを焼き直した。それらを展示したのが今回の「Tokyo Candy Box」展である。
作品を見ると、この10年の東京の変化が相当に大きかったことがわかる。彼自身が既に刊行時に予感していたように、それはもはやノスタルジックな色合いすら帯び始めているようだ。東京の無機質化はさらに進行し、もはやこの都市はおもちゃ箱を引っくり返したようなポップなCandy Boxではなくなりつつある。逆にいえば、二度と見ることができない眺めを、写真という魔法の箱の中に閉じ込めておくのが写真家の大事な役目なわけで、尾仲のこのシリーズも、箱から取り出すたびにさまざまな形で読み替えられていくのだろう。10年くらい後に、もう一度この「東京の世紀末の晴れの日の光景」をじっくり眺めてみたいものだ。
2011/07/16(土)(飯沢耕太郎)

鬼海弘雄の作品を見ていると、語呂合わせではないがいつも「魔」と「間」を感じる。1970年代から撮り続けられている「浅草のポートレイト」のどの一枚でもいい。写真の前に立って、そこに写っている人物の姿をじっと眺めていると、あたかも「魔」に見入られたような気分になってくる。目を離すことができなくなり、ここにいるのは何者なのか、なぜこんな姿でこの場所に出現しているのか、写真家はなぜ彼の前を行き交う無数の通行人からこの人物を選んだのか、この人はどこから来てどこに行こうとしているのか等々、次々に問いが湧き上がり、知らぬうちに長い時間が過ぎてしまうことになる。ふと我に返ってあたりを見回すと、自分の近くでやはり写真に見入っている観客の姿が目に入ってくる。その姿が、どう見ても鬼海が撮影した「浅草のポートレイト」の登場人物そのものなのでびっくりしてしまう。世間からはずれた、異形の人物たちを撮影しているようで、このシリーズはわれわれ一人ひとりのなかに潜む、普遍的とさえ言えそうな「人間」の存在の原型をあぶり出しているのではないだろうか。
今回の「東京ポートレイト」展で発表されたもうひとつのシリーズである「街のポートレイト」の凄みは、6×6判カメラの真四角のフレームの中にひしめく建物や看板の「間」に潜んでいる。シュルレアリスムの美学を思わせる、意表をついた異質な要素の組み合わせの隙間から、どこか不気味であり、笑いを誘うようでもある、なんとも奇妙な気配が立ちのぼってくるのだ。狙いを定めて獲物を撃つような浅草の人物写真と比較すると、鬼海の街の写真には投げやりとは言わないが、被写体の自律性に身をまかせる放心の態度を感じとることができる。それでもやはり、この一見優しげな「街のポートレイト」も相当に怖い。何気なく足を踏み入れると、やはり「魔」の世界に連れ去られて、帰って来られなくなりそうに感じるのだ。
鬼海弘雄は「魔」と「間」を自在に操る術を40年以上にわたって鍛え上げ、他の追随を許さない、そして写真という表現のメディウム以外では絶対に不可能な作品世界を確立してきた。その優れた成果を、今回の展示でしっかりと確認することができた。
2011/08/12(金)(飯沢耕太郎)

写真集と展示の違いが際立って見える作品があるが、佐藤信太郎の「東京|天空樹 Risen in East」はそのいい例だろう。青幻舎から刊行された写真集を見たときには、前作の『非常階段東京─TOKYO TWILIGHT ZONE』(青幻舎、2008年)の延長線上の仕事に思えた。ところが、フォト・ギャラリー・インターナショナルの展示を見て、遅まきながら、その方法論自体が大きく変化していることに気づかされた。
まず最大で3,139×311ミリという画面の大きさが圧倒的だ。横が極端に長いパノラマサイズのプリントは、当然ながらデジタルカメラの画像をつなぎあわせたものだ。最大30枚以上の画像が使われているという。ということは、佐藤は4×5判の大判カメラを使っていた前作から、撮影とプリントのシステム自体を完全に変えてしまったことになる。結果として、ある特定の時間(黄昏時)、特定の眺め(ビルの非常階段から)にこだわっていた前作と比較して、表現の幅がかなり広がりをもつものとなった。それだけでなく、複数の時間、複数の視点がひとつの画面に写り込むことによって、あたかも絵巻物を見るように、伸び縮みする視覚的体験が生じてきている。
その中心に写り込んでいるのが、言うまでもなく建造中の東京スカイツリーである。この「天空樹」の出現は、誰もが気づかざるをえないように、東京の東半分の地域の眺めを大きく変えつつある。特に浅草の街並みや墨田区京島の戦前から残っている古い長屋などとくっきりとしたコントラストを描き出すことで、新たな景観が生み出されようとしている。まさに都市の生成途上の姿を捉えたドキュメントとしても、意味のある仕事と言えそうだ。
2012/01/26(木)(飯沢耕太郎)