藤堂俊輔 blog ネタ袋

いろいろなネタの覚書
<< March 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
 
SPONSORED LINKS
ARCHIVES
+amazon
MOBILE
qrcode
LINKS
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
てぐ

デジタル時代における身体イメージ

僕が担当した日本のパートの写真家を選ぶとき、今回の展示では、いわゆるドキュメンタリー系やスナップショット系の写真は外そうと思ったんだ。もちろんそのような写真を入れてもいいんだけど、パートの統一性がなくなって見る人が混乱してしまうからね。だから、初めから現代美術寄りの構築的な写真を展示の中心にしたいと考えていた。それから、主に2000年代以降に登場してきた人たち、とくに若手作家の作品を中心に紹介したかった。構築的な写真でも、1つのテーマが必要なので、今回は「デジタル時代における身体イメージ」というテーマを立てることにしたんだ。

なぜ「デジタル時代における身体イメージ」というテーマを選んだかというと、1990年後半以降、日本では従来のアナログ(銀塩)写真に変わってデジタル画像を制作に使う写真家が急速に増えてきた。撮影機材であるカメラは、その作品の内容にも大きな影響を及ぼしていく。僕は、今までも写真家にとって重要なテーマになる"身体"に関わるイメージが、デジタル時代においてどのように変わっていったかを考えたいと思った。

デジタル画像は、非物質的なデータの集積であって、(1)画像を自由に変更・合成できる「改変性」、(2)その場で画像が確認できる「現認性」、(3)画像を大量に記録、保全できる「蓄積性」、(4)インターネットで画像を簡単に送受できる「相互通信性」、(5)画像を消去できる「消去性」という大きな特徴があるんだ。もしそのあたりについてもっと知りたかったら、僕の『デジグラフィ』(中央公論新社、2004)という本を読んでほしい。

すぐに目に付くのは、物質的な身体性ではなく、記号のように置き換え可能な身体イメージが出てきたことだね。つまり身体のパーツを置き換えたり、作り手が望むシチュエーションにはめ込んだりすること。日本のアーティストなら、西洋の名画の登場人物に成りきるセルフ・ポートレートを作りあげる森村泰昌は、デジタル画像の特性を活かした典型的な例だよ。デジタル時代における身体イメージは、むろんこのような記号化、非物質化の影響を被っている。だけどデジタル化によっても、身体をテーマにした作品に必然的につきまとってくる喜怒哀楽の感情、傷み、死への恐怖、性的なエクスタシーなどを呼び起こしたり、よみがえらせたりする力は失われていないと思う。逆にむしろ、デジタル化によって拡散し、希薄になっていく身体性を取り戻し補強することを目指しているように思える写真家も登場してきている。

デジタル時代の写真家たちは、さまざまな表現の技法を駆使して、僕たちの身体がどのように生成、変化しようとしているのか、また、その変化が僕たちの精神世界にどのような影響をおよぼしつつあるのかを探り出そうと模索している。今回の展示ではそのような写真家というか、むしろ写真を使うアーティストとして、やなぎみわ、澤田知子、鷹野隆大、内原恭彦、屋代敏博、櫻田宗久、野村浩、安楽寺えみ、高橋万里子、うつゆみこ、元木みゆき、高木こずえの12名を選出した。本当は、志賀理江子と田口和奈にも出品をお願いしたんだけど、忙しいということで断られてしまった。「デジタル時代における身体イメージ」というテーマに、志賀はとくにピッタリだと思ったんだけど、残念だったね。でも他の写真家たちが快諾してくれたので、ほぼ僕の意図は実現できたと思う。

記号化された身体イメージを合成したり増殖させたりする、やなぎ、澤田、屋代、櫻田、野村らの作品。制御不可能な感情や性的なエクスタシーの表出にこだわる鷹野、内原、安楽寺、高橋らの作品。それにまだ国際的な舞台での経験があまりない若い世代のうつゆみこ、元木みゆき、高木こずえの作品をきちんと紹介できたことは、本当に良かったと思う。

 

空間構成力に優れる日本人作家

前回にも話した韓国、中国の写真家と日本の写真家の特徴の違いについては、展示前の準備段階から感じられたんだ。日本人の写真家は12人中8人が会場に来ていて、壁面に自分の手で作品を設置していく作業をした。鷹野は他の展覧会の準備があったので、かわりに展示の専門の人が来ていた。でも、自分自身で作品を展示する作家は、韓国、中国では少なかったね。彼らはフレームに入れた作品を会場に送って、展示プランニングの図面を出してそれでおしまいなんだ。つまりインスタレーション(作家の意向に沿って空間を構成し、場所や空間全体を作品として体験させるやり方のこと)に対する意識の持ち方というのが、日本人の作家たちは非常に細やかで丁寧だと感じたね。作品を空間の中にどのようにインスタレーションしていくのかということを、日本人のアーティストは80年代の終わりからずっと鍛えてきた。中国や韓国は現代写真のジャンルが90年代になって急に現れて、最近になってようやく写真が作品として売買されることが非常に盛んになってきている。そのあたりの違いが作品の展示に対する姿勢に現れているのだと思う。

できあがった会場を見てみたんだけど、韓国のブース、中国のブースと比べると、日本のブースは非常にきちんと構成されているように感じた。僕の聞いたかぎり観客の反応も日本のパートのインスタレーションは評判が良かった。逆に韓国と中国の作品は、やや荒っぽい展示だけれども、非常に大きくてスケール感があって、気持ちが良く目に入ってくる。その質の差から国民性の違いが見えてくるんだよね。特にそれを強く感じたのは、安楽寺えみと野村浩の作品だった。

安楽寺の作品は、全部で500枚くらいあるんだけども、そのA3判くらいのプリントを助手2人を使って、1点1点、マスキングテープで壁に貼っていく。もちろん展示の大ざっぱな構成は頭の中にプランニングがあるんだけど、テグの会場にあわせてまるで刺繍のようにその場で作っていく部分もあった。その作業の進み具合を見ているととても面白かったね。最初のプランニングがあっても、会場に行ったらそこに合わせた配置にプランを変え、空間を全体としてのひとつの作品に作り上げていくんだ。

野村は元から床にも展示しようと計画していたんだけど、会場の床に電気配線などがあって、それに黒いゴムのカバーみたいなものがかけられていたんだ。それは見方によっては格好悪い。ほかの国の会場では、それを外したり床に近い別の色にしたりしたんだけど、野村はそれが逆に面白いといって、カバーの上に彼の作品のシンボルである「目玉」を貼り付けて、作品の一部としてインスタレーションを作り上げた。そのあたり、彼の会場の特性を逆に利用するような意識の働かせ方が面白かったね。思考回路がすごい柔軟なんだ。彼もジャズのインプロヴィゼーションのように、会場の空間と対話しながら作品を設置していた。

会場には来られなかった澤田知子は、「これくらいの大きさのケースを作って、このくらいの角度で作品を並べて、こういうふうに展示してほしい……」などと、ものすごく細かな指示が書かれたプランニング図面が作品と一緒に送られてきた。作家が立ち会えなくても、その意図を反映するために最大限力を注いでいることがよくわかるよ。韓国スタッフは、指示通りにケースを作るのにすごく苦労していたけど、最終的にはなんとか澤田が意図したとおりに展示することができた。

日本人の柔軟なインスタレーションの能力は、アメリカやヨーロッパの作家達と比べても優れていると思うから、これは日本人の強みだといってもいいだろう。あらためて、彼らの空間構成能力、インスタレーション能力の緻密さ、丁寧さを感じて、これは日本人作家の良い武器になると確信したね。これからも色々な場所で展示があると思うけど、ただ作品を持っていって作品を飾るんじゃなくて、空間として作品を見せるという細やかな神経の働かせ方が絶対に必要になってくるだろう。

僕が見ている限り、今回選んだ12人の作品はとても充実していたと思う。会場で作品を展示し終わった後、我ながら「これを日本に巡回できたら本当に面白いだろうなぁ」って思ったくらいだったからね。

 

記号化された身体イメージ

やなぎみわ 『The Thee Fates』
やなぎみわは、デジタル画像の改変性を1990年代から最も積極的に取り入れていったアーティストの1人だね。「Elevator Girls」のシリーズでは、見分けがつかない記号化された女性たちが、都市の空間に増殖していく白昼夢のような世界を見事に作りあげた。だけど2000年代になると、彼女の作品にはお伽話を思わせる物語性が取り入れらるようになる。記憶の底に眠っていた、幼少時代の怖れや痛みを呼び覚ますような寓話的なイメージは、今回出展された人間の運命を司る3人の女神を主題にした「The Thee Fates」にもはっきりと現れているよ。

澤田知子は、1999年に証明写真のブースを使い、メイクや衣装を変えながら400枚の写真を撮った「ID400」のデビュー以来、セルフ・イメージに執拗にこだわり続けてきた。他者から見られた自己と、自分自身にとってのセルフ・イメージの落差をとらえ直そうとする姿勢は、今回出展された「OMIAI」でも一貫している。「お見合い」とは、若い男女が結婚相手を求めて出会いの場に挑む日本独自の儀式だけど、その前に写真を見せ合うでしょう? だけどその写真は、相手に良い印象を与えるために微妙に修正されていることが多いんだよね。澤田はメーキャップや衣装を変えて、何通りもの女性像を提示して、「唯一の絶対的な自己」という原理にひび割れを生じさせているんだ。

内原恭彦は写真家としてデビューしてから、ずっとデジタルカメラによって日々大量の画像を撮影して、自分のウェブサイトにアップロードし続けてきた。その意味でデジタル時代における写真表現の最前線を切り開いてきた1人といえる。彼は2004年以降、さらにデジタル画像の質感にこだわるようになって、1つの被写体を数十に分割して撮影し、その画像をパソコンの画面上でつなぎ合わせて巨大な超高解像度画像を作り上げる「スティッチング」という技法の作品を発表し始める。この画像はファイルを開くだけで30分くらいかかるなど、"超ヘビー"な画像によって非物質的なデータの集積であるはずのデジタル画像に、アナログ写真以上の物質性を与えようという破天荒な試みなんだ。

屋代敏博は2000年代以降、画面の中に回転する身体を写し込む作品を制作始めたんだ。最初は、彼自身が全身に黒の衣装をまとって回転していたんだけど、だんだん学校などを舞台にして、参加者がカラフルな衣装で回転する、パフォーマンス性の強い作品へと進化していった。輪郭が失われて、色の塊になった回転する身体は、見慣れた風景を活性化して、祝祭的な空間に変質させる異物のような役割を果たしているね。

野村浩は、身体の重要なパーツである「目玉」を主題に作品を作り続けている。彼の「目玉」は、漫画のように記号化されていて、勝手に動きまわって、いろいろな場所に貼り付いていく。その「目玉」がくっついたオブジェや風景はまるで生き物のように見えてくる。それはユーモラスだけど、ちょっと不気味なんだよね。1度見たら忘れられないような不思議な魅力を備えた作品なんだ。

櫻田宗久は、1990年代からのキャリアを持つアーティストだけど、2008年の個展「Munetopia」(Zeit Photo Salon,東京)で完全にその資質を開花させたと言っていいだろう。デジタル画像の合成によって作り上げられる華麗で装飾的な画面には、記号化された大小の身体イメージが散りばめられているんだ。少女のファンタジーをそのまま具現化したような嘘っぽい世界にも見えるけど、そこにはある種の生々しさが感じられるんだよね。アニメ世代の身体イメージの典型といってもいい。架空のユートピアのはずの「Munetopia」の登場人物たちは皆、過剰な欲望、とりわけ性的な欲望を抱え込んでいるように見えてくるんだ。
制御不可能な感情や性的エクスタシーにこだわる作品

鷹野隆大が「Tender Penis」のシリーズで扱っているのは、コントロール不可能な身体のありようだ。等身大以上に引き伸ばされた男性の裸体は、ちょうどペニスのところで2分割されている。正面から見るとわからないんだけど、実は彼らのペニスは勃起時と平常の状態と2回に分けて撮影されているんだ。その見えないペニスは、実は裏に回ると観客から、見えるようになっていて、この展示方法は韓国の観客にもとても受けていたね。滑稽だけど厳粛でもある男性の肉体の現象について冷静に観察した、批評的な作品だね。

安楽寺えみは、日常的な空間の中でエロティックなパフォーマンスを展開し、そのイメージを生き物のように増殖させていくんだ。彼女の作品世界においては、苦痛と快楽、エロスとタナトス、美とグロテスクがコインの裏表のように同居していて、見る者はその千変万化するイメージに包み込まれて、彼女のエクスタシーを追体験することができる。それはまるで母親の胎内を思わせる、どこか懐かしい空間を漂っているような感覚でもある。

デジタル化が進む写真表現のなかで、あえてアナログ写真にこだわり続ける写真家もいるよね。高橋万里子もその1人だ。彼女の「moonlightgraphs」は、アナログカメラ特有のボケやブレを活かした表現にこだわっている。だけど、そこに現れてくる身体イメージは、とらえどころがなく、むしろ霊的な存在みたいなんだ。高橋の最大の関心は、身体の重力や物質性をいかに取り去っていくか、現実世界をどれだけ夢や記憶の中の空間に近づけることができるかということなんだろうね。
デジタル世代の若手作家

うつゆみこは、幼少時代の感覚に異様に執着しているアーティスト。人形、昆虫、植物、食べ物などのイメージが、ほとんどでたらめに組み合わされ、奇妙な生命力に溢れた見世物小屋のような世界が作り上げられている。そこでは、意味より色彩、視覚より触覚のほうが優先されているようなんだ。「気持ち悪くて可愛くてグロイ」オブジェたちの小宇宙を、彼女は子供が泥をこね上げて悪夢を想像するように嬉々として作り続けている感じがするね。今回の展示では、彼女の凝りに凝ったインスタレーションの能力が充分に発揮されていたね。ユーモラスな部分もある彼女の作品世界は、外国でもこれからもっと高く評価されていくんじゃないかな。

1981年生まれの元木みゆきは、世代的には完全にデジタル時代の申し子だね。実際に彼女はこれまで、デジタルカメラで撮影した軽やかなスナップ写真を多数発表してきた。しかし今回の「So vague desire」シリーズでは、あえてピンホール・カメラという古典的な技法に挑戦してきたんだ。彼女の作品の身体イメージは淡く、希薄だけど、それによって逆に「覗き見」の欲望が強く喚起されるように感じられるんだ。今年は写真新世紀で優秀賞や、さがみはら写真新人奨励賞を受賞したりして、その才能が開花してきた年になったね。

1985年生まれの高木こずえは、今回の写真家たちの中で最も若く、将来を嘱望されている写真家の1人だね。大学在学中の2006年に写真新世紀でグランプリを受賞をした「Insider」シリーズは、デジタル画像の合成による実験的な作品だった。しかし彼女はその後、より内面性をストレートに表現する方向性へ変わりつつある。今回の「Screams」もその流れに沿うもので、強烈な身体イメージの群がまるで別な生き物のようにうごめき、渦巻いている。とにかく作品を発表するたびに、その「引き出し」の多さと潜在能力の大きさに驚いてしまう。

アジア写真の未来
彼らの作品を見てみると、日本の写真家たちにとって、身体イメージはこれから先も重要なテーマであり続けると思うね。そしてより細やかに、しかもダイナミックに表現する可能性は、デジタル化がすすむによってむしろ大きく拡大しつつある。これはもちろん日本だけに限定されることではなくて、今後は韓国や中国の作家たちも含めた「アジア的な」身体イメージがどのようなものであるのかを、きちんと確認していく必要があると思う。今回のテグ写真ビエンナーレは、その始まりになることを期待したいね

 

 

 

 

参考HP

参考ホームページ集

 

イルフォード

http://www.ilford.co.jp

 

自分たちのインタビュー記事

http://ganref.jp/common/special/epson1607/

 

本田勝彦氏レビュー

https://ganref.jp/m/katsuhiko_honda/reviews_and_diaries/diary/9565

 

CP+

http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/event/1035023.html

 

お苗場

http://www.onaeba.com

 

zooms

http://www.cpplus.jp/zoomsjapan/

 

エプサイト

http://www.epson.jp/katsuyou/photo/taiken/epsite/event/gallery2/17/

 

西新宿

https://sagarcia.jp/area/tokyo/shinjyukuku/100024/column/nishi-shinjyuku_history

https://ja.wikipedia.org/wiki/西新宿

 

本を読んだ「アフィリエイトで月20万円稼ぐ方法」
アナログ文系サラリーマンでもできる! アフィリエイトで月20万円稼ぐ方法アナログ文系サラリーマンでもできる! アフィリエイトで月20万円稼ぐ方法
五十嵐 勝久

KADOKAWA/角川書店 2016-04-23
売り上げランキング : 267214

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

 

この本を読んだ。

 

気になったトピックをメモ。

 

・確定申告

イケダハヤト氏おすすめのブログ運営サイト

イケダハヤト氏のブログ記事「前年比1.5倍!? 「アフィリエイト詐欺」に騙される人が、グイグイと増えている件。

に記載されていたおすすめのブログ指南サイト。

 

アフィリエイト戦記

 

アフィリエイト野郎!

 

あと、

 

G-tools